病院の怪談(後編)(「黒呆け蜘蛛の会」より)
▼「病院の怪談」前編を書き上げてアップした段階ではすぐに後編に移るつもりだったのだが、書いている間にどんどんと構想が膨らみこのままでは原稿用紙にして軽く3千枚を超えてしまい未曾有の大長編となりかねないことが判明した。そのままではブログに載せるわけにもいかず、文量を大幅に刈り込むのに時間を要してしまったことを関係各位に深く陳謝します。ということで、お待たせしました、「後編」です。
▼病院の怪談(後編)【前編より続く】
「それは病院で起こる典型的な心霊現象の一つね。古い病院には浮遊霊も多いことだし」と、黒呆け蜘蛛の会のメンバーで最初に口を開いたのは女流ホラー作家の鮨慧子だ。「たぶん、その霊はかなりの恨みを抱いて死んでいったに違いないわ。ベッド脇に立たれたというその患者さんの「その後」には充分注意しといた方がいいわよ」
「たぶん、そうだろうな」とホラー作家の意見に同調したのは三冊200円オヤジの異名を持つ古本評論家のよしだ むさしである。この男は最近、本の雑言社という出版社から「常田富士男と浦島太郎」という本を上梓したばかりで実に意気軒昂である。「この私も年甲斐もないテニスで腰を痛めたり、古本に付いていた病原菌が元で睾丸がバレーボール大に膨れあがったりと、病院との縁はなかなか切れないんだが、病院では何度も怖い目に遭ってるよ。看護婦さんにさりげなく『夜中に痩せた男の人がベッドの脇に立ってたんだけど』って聞いてみれば、いやあな顔をして『また出たんですかあ』っていう表情をすると思う。もっとも私が入院中に一番怖い目に遭ったのは、持参した本を全て読み終えてしまって手元に読む本が無くなってしまったと気づいた時なんだけどね」と言ってニヤリと笑った。
「私は怖い話は苦手だから・・・」と言ったのは、漫画家の野薔薇美由紀である。「現実的すぎるかもしれないけど、それは単なる物盗りなんじゃないの? ほら、病人って結構手近に小銭を置いているものだし。きっと不慣れな泥棒で枕元に置いてある財布に手を伸ばすのを逡巡してたんだと思うわぁ」
「うう~ん、怪奇現象派が二人に物盗り説が一人ですか」と相談者の私は言った。「これだけの話では、決め手に欠けてますもんねぇ」
その時、「なるほど、それは恐ろしい話ですね」との声がしたのは、みんながテーブルを囲んで円座に座っている後方からである。
「おぉ、そうだ。ここは辺里の意見も聴いてみないとな」とよしだ むさしが言った。
「辺里さんとは……?」と私が振り返ると、そこに立っていたのは給仕然とした一人の男である。
「辺里はね、この店の給仕なんだが、ものすごく推理力があるんだ。過去にもこの会に持ち込まれた謎を何度か解いているんだよ、私の次くらいにはね」と言うのはよしだ むさしである。
「皆様のお話の途中で思わず口を挟んでしまい、大変失礼をいたしました」と給仕の辺里は申し訳なさそうに言った。
「いやいや、ここはぜひ辺里の意見も聴いてみたいもんだな」とよしだ むさしが言うと、鮨慧子と野薔薇美由紀の二人も「そうよそうよ、きっと何か気が付いたんでしょ?」と辺里の意見を促した。「少なくとも、辺里さんの方がよしださんよりはよっぽど頼りになるんだし」
「皆様がそこまで仰るのならば・・・。それでは私の考えを言う前にちょっと質問させて戴いても構わないでしょうか?」
「どうぞ、なんなりと」と応じてはみたものの、何故、私が給仕の質問に答えなければならないのか、さっぱり合点がいかない。
「お父様はもうそろそろ退院されるご予定なんですね?」と給仕の辺里が尋ねた。
「そうです。今度の土曜には退院の予定です」と私。「ヨチヨチ歩きですが、最近になってようやく少しは歩けるようになりましてね」
「お父様は相当なご高齢になりますよね?」
「そうですね。八十歳にもうすぐ手が届くというところです。半年も入院していると、さすがに身体も弱りましたが」
「誠に失礼なことをお尋ねしますが」と辺里。「身体はともかくとして、お父様の頭の方は如何なんですか? いわゆる『老人特有の症状』というものは?」
「ははぁ、もしかして『呆け』のことですか? そりゃまぁ歳も歳ですし、このところ単調な入院生活が続きましたから、今日が何曜日なのかはちょっと分からなくなっているようですが・・・。そういえば先日、お医者さんから『今、何歳になりました?』と訊かれて答えられなかったこともありましたが、総じてその程度のことですかね」
「なるほど・・・」と辺里は答えて、一瞬考えにふけった。「分かりました。毎晩、ベッドの脇に立つ痩せた男とは、おそらく・・・」
「おそらく?」
「おそらく、それはあなたのお父様ですね」
「な、な、な、なんてことを言うの!」と思わず声を大きくしたのは、漫画家の野薔薇美由紀である。「あなたはこの方のお父様が泥棒だって言うの?」
「違うわよね、辺里さん」と落ち着いた口調で口を挟んだのは女流ホラー作家である。「きっと、お父様が幽体離脱して生き霊になった姿をみんなに見られたと言いたいんでしょ?」
申し訳なさそうに辺里は言った。「いえ、申し訳ありませんが、私の考えはお二人のご意見とはちょっと異なります。この方のお父様は、ただその場に立っていただけです」
「でも、なんで夜中に他人のベッドの脇にただ立っていなければならないんだ、何の目的もなく?」と訊くのはよしだ むさしだ。
「何かの目的があってかどうかは、私にも分かりかねます。その答はおそらく、お父様ご本人ににお尋ねしても分からないことだと思います」
「それは、いったいどういう意味・・・?」
「失礼ながら、お父様ご本人にその意味をお尋ねしても、ちゃんとした答は戻ってこないことだと思いますね」
「しかしねぇ、辺里」とよしだ むさしが言う。「もしもその痩せた男がこの人の親父さんだと言うんなら、同室の患者たちはみんな、顔見知りのはずじゃないか。なんでそのことをはっきりと本人や家族に言わないんだ?」
辺里は困ったような顔をした。「それは・・・。皆さん、お優しいからだと思いますよ。確か、お話の途中でもそうようなことを仰っておられたはずですが」
「優しい・・・?」と、私は怪訝な顔で聞き返した。
「ご家族に事実をそのままお伝えするには耐えられないほど、皆さん、お優しいんだと思います」
「で、その『事実』とは・・・?」と、私は辺里に思わず尋ねた。
辺里は一瞬躊躇った上で、私をじっと正面から見据えたまま静かな声で答えた。「それは・・・、あなたのお父様が呆けてしまわれたという事実です」
みんなは一瞬押し黙ったが、辺里はかまわずに言葉を続けた。「たぶんお父様は夜中に何度も徘徊行動を取られているんだと思います。もっともまだそんなには動き回れないはずですので、あくまでも病室の中だけでしょうけど。それでも当然、相部屋の皆さんはその行動を常にご覧になっているはずです。同室の皆さんはおそらく、あなた様が痴呆となられたお父様の世話をこれからずっと夜も昼もしていかなければならないという過酷な現実を遠回しな表現であなたに告げたんだと思いますよ。一度、病院の先生にそのことをご確認された方がいいと思いますよ」
「でも、それならなんでそうとはっきりと言わないんだ?」とよしだ むさし。「そんな遠回しな言い方ではなく」
「自宅で痴呆老人の介護をするということは家族にとっては実に大変なことです」と辺里は言った。「夜も昼もなく目が離せませんし、食事から風呂、あるいは下の世話まで24時間、誰かが付きっきりになる必要もあるでしょう。介護ヘルパーを頼むとしても、身内の方は相当な犠牲を払う覚悟がないと到底できることではありません」
辺里はそう言うと、じっと私を見た。「あなたは独身なんじゃありませんか?」
「そうですが・・・」と私。「どうして分かりました?」
「病院での相部屋というものは退屈な分、他の見舞客の会話は嫌でも耳に入りますし、それで隣に寝ている病人の家庭環境まで嫌でも分かってしまうものです。同室の皆さんはおそらく、会話の中身からあなたがお父様と二人暮らしだと知って、退院後のあなたの苦労を察知したんだと思いますね」
野薔薇美由紀が尋ねた。「つまりそれは、相部屋の患者さんたちが全員で示し合わせていたというわけ?」
辺里は答えた。「おそらく、そうだと思いますよ」
よしだ むさしが言った。「でも、それなら病院の医者や看護婦も同様に父上の呆けに気づいてたんじゃないのか? だったら、患者の家族にその旨を言うんじゃないのか?」
「病院というところは、こちらから尋ねない限り、そういうことは意外に言わないものですよ。特に骨折したお父様が入院していたのは外科病棟だと思います。外科では骨折が治りさえすれば完治したということですから、他の件をわざわざ家族に伝えることは少ないと思います」
私はうつむいて辺里の言葉を聞いていたが、しばらく経って顔を上げた。「そう言われると、確かに私にも思い当たる節はいくつかあります。このところ父はほとんど喋らなくなりましたが、先に言った通り、元々人付き合いも良くない性格ですし寡黙な質でしたので特に不思議とも思わなかったんですが・・・。まぁ、身内としては自分の父親が呆けてしまったなどとはなかなか信じたくない話でもありますしね。明日にでも早速、お医者さんに状況を確認して参ります。どうも有り難うございました」
古本評論家のよしだ むさしが言った。「辺里、どうして分かったんだ?」
辺里は恥ずかしげに答えた。「いえ、実は私も身内に一人、痴呆老人を抱えておりましてね。今日も出がけに妻とその話をしてきたところですので、それが心に残っていたのかもしれません。ですからご聡明な皆様よりも気づくのがちょっと早かっただけのことですよ。・・・あっ、いけない!」
「どうした、辺里?」
「いえ、話についつい夢中になって、デザートにお出しする予定のマンゴ・シャーベットをキッチンに出しっばなしにしておりました。せっかくのデザートが少し溶けてしまったかもしれません。今すぐに持ってあがります」
辺里はそう言うと深々と頭を下げて、静かにその場を立ち去った。
▼新刊。
まず何と言っても嬉しいのはこの本。スティーヴン・キング「コロラド・キッド」(新潮文庫、非売品)。新潮文庫版「ダークタワー」シリーズの刊行記念イベントとして、新潮社が企画した一万人限定のプレミア・ブックという非売品である。キング自身が何故かこの本の日本での出版に制限を付けているために、現時点ではとりあえず抽選で当たるかヤフオクで馬鹿高い値段で入手する以外に、この「コロラド・キッド」を読む術がないのである。わはははは。あんまり嬉しいんでカバジャケ写真も載っけといてやろう。
うわはは、真っ黒だ(笑)。いや、実物はそんな真っ黒けってことはないんだけどね。内容はキングにしては珍しくホラー風味のほとんど無いミステリータッチ。言ってみれば「キング、松本清張に挑戦!」的なアリバイ崩しなんである。いやもう、相変わらずのキングの語り口だけでご飯三杯はいけますわ。
この本以外にも色々と書きたいことは多けれど、残念ながら時間がない。買った新刊の書名だけ列記する。
今村荘三「漫才通」(浪速社)
と学会「と学会年鑑 GREEN」(楽工社)
ほんの森編「恐怖ミステリーBEST15」(シーエイチシー)
サミュエル・R.ディレイニー他 若島正編「ベータ2のバラッド」(国書刊行会)
ウィル・セルフ「元気なぼくらの元気なおもちゃ」(河出書房新社)
大崎梢「配達あかずきん」(東京創元社)
小路幸也「東京バンドワゴン」(集英社)
宝島編集部編「バウじゅうはち! VOW18」(宝島社)
早坂隆「世界の日本人ジョーク集」(中公新書ラクレ)
高田文夫「笑芸日記 一九九六-二〇〇五」(ちくま文庫)
一ノ宮美成ほか「実録!平成日本タブー大全 1」(宝島社文庫)
ジュリー・ケナー「ママは悪魔ハンター」(早川書房)
喜国雅彦「日本一の男の魂 17」(小学館ヤングサンデーコミックス)
いしいひさいち「ロスタイム17分」(双葉文庫)
志賀浩二「古本屋残酷物語」(平安工房)
キース・オートリー「ホームズ対フロイト」(光文社文庫)
ジョン・ボーランド「紳士同盟」(早川ポケミス)
安永一典「アガサ・クリスティのインテリアと鼠の齧ったT定規」(近代文芸社)
カーステン・ストラウド「コブラヴィル (上・下)」(文春文庫)
国立国会図書館編「人と蔵書と蔵書印」(雄松堂出版)
ヘレン・マクロイ「死の舞踏」(論創海外ミステリ)
ピーター・ディキンスン「封印の島」(論創海外ミステリ)
ジョン・ソール「ブラックストーン・クロニクル (上・下)」(求竜堂)
チャールズ・ストロス「シンギュラリティ・スカイ」(早川SF文庫)
クリストファー・ファウラー「白昼の闇」(東京創元社)
ダグラス・アダムス「さようなら、いままで魚をありがとう」(河出文庫)
平井隆太郎「うつし世の乱歩」(河出書房新社)
五條瑛「瓦礫の矜持」( 中央公論新社)
ジェフ・ロヴィン「狼男の逆襲」(扶桑社文庫)
鮎川哲也「山荘の死(『鮎川哲也コレクション<挑戦篇>I)」(出版芸術社)
ジム・トンプスン「失われた男」(扶桑社文庫)
ジョン・ランチェスター「最後の晩餐の作り方」(新潮文庫)
クライブ・カッスラー&ポール・ケンプレコス「オケアノスの野望を砕け (上・下)」(新潮文庫)
戸梶圭太「もっとも虚しい仕事」(光文社カッパノベルス)
大倉崇裕「福家警部補の挨拶」(創元クライム・クラブ)
浅倉久志「ぼくがカンガルーに出会ったころ」(国書刊行会)
山田風太郎「山田風太郎育児日記」(朝日新聞社)
小松左京+谷甲州「日本沈没 第二部」(小学館)
アレックス・バーザ「ウソの歴史博物館」(文春文庫)
ロブ・ライアン「暁への疾走」(文春文庫)
平岡正明「志ん生的、文楽的」(講談社)
『このミステリーがすごい!』編集部編「この文庫がすごい! 2006年版」(宝島社)
ジョージ・P.ペレケーノス「魂よ眠れ」(早川HM文庫)
永江朗「ブックショップはワンダーランド」(六耀社)
いしいひさいち「コミカル・ミステリー・ツアー 4 長~いお別れ」(創元推理文庫)
この中でお奨めを四冊選ぶとすれば、今村荘三「漫才通」、鮎川哲也「山荘の死」、戸梶圭太「もっとも虚しい仕事」、浅倉久志「ぼくがカンガルーに出会ったころ」だな。五冊選ばない理由は、まだそんなには読んでいないからである。
▼この間、買った古本やDVD、観た映画(ビデオ、DVD含む)、聴いたCDも山ほどあるし、名古屋オフやら某作家のサイン会に行った話などもあるのだが、とても書いている時間がない。このあたりは次回に回す。









